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K-POP英語コンテンツの日本語訳。たまに韓国語も。

わたしと英語のストーリー

 

6才。この年齢が、わたしが覚えている最古の「英語」に関する記憶である。

 

年長の時、幼稚園の課外活動で英語を習いはじめた。

 

自分から習いたい、といったらしい。

 

その時の記憶はあまりないが、英語を学ぶのが楽しかったことだけは覚えている。

 

「クラスメートが好き」「先生がきれいだった」とかではなく、

 

「英語」そのものにワクワクする感覚。

 

未知の言語を学んで、新しい世界がみえてくるような、そんな感覚。

 

これがおもしろくて、教室に通い続けた。

 

小学校2年生になるころ、その幼稚園での英語教室をやめた。

 

あまり覚えてないが、英語をやりたくなくなったわけではなくて、年齢的な理由でやめたと思う。

 

もちろんわたしは英語が好きだったので、その後は通信教材をつかって学ぶことにした。

 

ネイティブの先生と対面式の英語教室とはちがい、パソコンを使って学ぶ方式だった。

 

それでもすっごく楽しかった。

 

「英語」そのものにワクワクしていたからだ。

 

最終的に、その教材を最後までやり切った記憶がある。

 

小学5年生。友人に誘われて、近くの英会話教室に通いはじめた。

 

年が近い仲間たちや気さくな先生とレッスンするのが、いつも楽しみだった。

 

英検にも初挑戦した。

 

受験勉強が楽しかったし、受かったからもっとうれしかった。

 

中学一年生。わたしといっしょに英会話教室に通っていた子が英会話をやめた。

 

それでも私は、迷わず英会話教室に通い続けた。

 

英語が好きだったし、厳しいけど熱心に教えてくれる、素敵な先生に出会ったからだ。

 

中学校では英語の成績が良かった。

 

何回も100点をとったし、わたしは「英語ができる子」と認識されていたと思う。

 

 

 

 

高校一年生。県内でも偏差値の高い高校に合格した。

 

他の教科ができるわけではない分、「英語だけは」と自信を持っていた。

 

だけど、その自信は崩された。

 

文法は難しくなり、クラスメイトは自分より頭が良くて、

得意な英語でさえ、中の上くらいの成績。

 

部活として選んだ英語ディベート部では、

他校の英検1級をもってる子がいるチームと戦わなきゃいけなかったり、

思うより自分がいいたいことを英語でいえなくて、苦労した。

 

高校2年生。大好きだった英語の先生が英会話教室をやめてしまい、わたしも英会話教室をやめることにした。

 

だから、英語へのモチベーションがさがることも多くあった。

 

それでも、英語ディベートの大会で何回か賞をもらった。

苦しかった分、救われた気持ちだった。

 

高校三年生。センター試験の英語で大失敗。

 

結果、第一志望の大学は諦めた。

 

難しくないはずのセンターで、しかも本番だけ、あんな点数をとってしまった自分が情けなかった。

 

「センター英語だけは、絶対に高得点をとれなきゃいけなかった」

 

何度だって、こう思った。

 

無事に大学1年生。外大に入学して、新たな目標ができた。

 

TOEIC900点と英検1級をとること。

 

だって外大生なのに、この2つをもってなかったら、「なんかカッコ悪い」。

 

大学2年生。TOEIC900点は達成した。

 

だけど英検1級は落ちた。

 

合格まであと一歩だったけど、合格までにはすごく大きな壁があることを感じた。

 

難しくて、しんどかったけど、頑張って時間つくって、必死に勉強した。

 

それでもだめだったから、泣きまくったし、つらかった。

 

「自分にはできないのかな?カッコ悪いな。」

 

これがあって、今は英語との付き合い方がわからなくなっている。

 

わたしはどうやって英語と向き合ったらいいのだろう?

 

☆☆☆

 

振り返れば、年を重ねるにつれて、純粋に英語を楽しむことができなくなっていったと思う。

 

英語は受験教科だから、学生の立場としては、「周りの人よりできること」が重要だ。

 

だから自分も、「周りの人よりできる」のを感じたときに安心できた。

 

だけど、それと同時に「周りと比べるクセ」もひどくなっていった。

 

そして「できなきゃいけない」という負担がどんどんのしかかって、

 

いつの間にか「英語、しんどいなぁ」って思う瞬間も増えた。

 

英語とどう向き合ったらいいのか、わからなくなった。

 

それでも幸いなことに、「英語へのときめき」を感じる瞬間は、ある。

 

私が英語をはじめたときと全く同じ、あの感覚。

 

「何点とりたい」という目標や、「これじゃカッコ悪い」という意識を持つことは悪くはないだろう。

 

でもそれが原因でワクワク・ときめきを失ってしまったら、意味がない気がする。

 

昔の自分にも申し訳ない気がする。

 

飽き性で、興味の幅も偏ってるわたしを、

15年もワクワクさせつづけてくれている、「英語」という特別な存在。

 

そして、その「英語」という特別な存在をみつけだしてくれた、6才のわたし。

 

この縁を、ずっとつないでいきたい。

 

だから、これからは「英語へのときめき」を一番大事にして、

 

ときには立ち止まったり、一歩下がりながら、

 

英語とこれからも長く、仲良く付き合っていく。

 

それが、わたし自身にかけてあげたい言葉である。

 

 

 

これからも、わたしと英語のストーリーは続きます。

 

 

 

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